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第四十六話 姉の館にて

Author: 月歌
last update Last Updated: 2025-04-03 11:00:00

◆◆◆◆◆

霧深い山道を抜けた先――朝の陽光が樹々の隙間から差し込み始めた頃、二頭の馬がゆるやかな丘を越えて現れたのは、森の奥にひっそりと建つ白亜の館だった。

白い石壁に蔦が這い、窓辺には季節の花が咲き、塔の屋根が空を仰いでいる。よく手入れされた庭には小道が通り、風に揺れる花々の香りがあたりを包む。騒がしい王都とはまるで異なる、静謐な気配と威厳を湛えた邸である。

「……すごい、立派な屋敷だな」

馬上の遥がぽつりと呟く。

「エルデン西領伯爵家の離れ館です。姉上はこちらで静かに暮らしておられる」

ルイスの声は穏やかで、どこか誇らしげでもあった。

「……ルミエール王国と言葉は同じなんだよな? 文字とか、話し方とかも……」

遥は聖女として多くの言語を理解できるとはいえ、異国の地で会話が通じるかはやはり不安だった。

「教会では、昔は一つの国だったって教わったけど……本当に?」

「本当さ。ルミエールとエルデンは、かつては一つの王国だった。分裂しても、言葉も文化もほとんど変わっていない。安心しろ、通じる」

ルイスの声に、遥はふっと安堵の息を漏らした。

館の前で馬を止めたそのとき、白い庭の奥からゆっくりと女性が歩み出てきた。

ドレスの裾が風に揺れ、陽光を受けて金茶の髪が淡くきらめく。整った面立ちと優雅な所作に、王族としての気品がにじみ出ていた。

「ルイス……!」

声は温かく、再会の喜びが滲んでいた。

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